今日、新聞の集金にきたおじさんの話。
朝9時くらいだろうか。インターホンは鳴ってないのだが、ドアをノックする音がした。
新聞の集計のおじさんが立っていた。
シャイな人なのか、顔を上げて話はしないおじさんは、「新聞の集金です」と言った。
お金を渡しておつりをもらっているとき、「なんでインターホン押さなかったんですか?」と聞くと、
「まだお休みかと思いましたんで押しませんでした。そしたらまた後でくるつもりでした。今日周らなきゃならない分があり、こんな朝早くになってしまいまして本当にご迷惑をおかけします」と言う。(といってももう9時なのだが。)
ありがたかった。集金のノルマがありながら、そのおじさんはわざわざ手間をかけてまで「まだ寝てたら後で来る」という気を利かせてくれていた。ノックが聞こえなくて出れなかっただけでも、もう一度来てくれたのだろう。
新聞という情報誌は、「ください」というだけで毎日目覚めるときには置いておいてもらい、夜も帰ってくるときには置いてある。それに対する対価を「わざわざ」取りにきてもらっていて、ためた新聞紙はトイレットペーパーに変わる。僕らは「ください」と言うことと、「お金」を払うだけでいいのだ。
これは宅急便や速達などの郵便も同じである。昔まで自分で運んでいたものが、家まで取りに来てもらえるようになった。しかしそれを当たり前として受け入れてしまう自分が怖い。集金にしろ、郵便にしろ、仕事だから何回も家に来てやっているのだと言われるかもしれないが、それでも感謝の気持ちは忘れたくない。
大学合格発表の翌日だった。合格し入学書類を心待ちにしていた僕のところに、郵便のおっちゃんがまだ8時過ぎにも関わらず、書類を届けてくれたことがあった。「首を長くして待ってると思って、特急で持ってきたぜ!おめでとう!!」と言ってくれたことを今でも忘れない。集金のおじさんは頭を深々と下げ、そそくさと帰ってしまったが、僕としてはなんだか気持ちのいい朝を迎えることが出来た。