身体の感覚器に基づいた実感って、大切な気がしています。言い換えれば、腑に落ちるとか、実感するとか、胸に響くとかです。
最近、いろんな方とお話をしますが、脳みそで分かった気になっているが、身体の感覚で実感できていない人が多い気がします。
脳みそで分かっていることを言い換えれば、頭で理解している、知っている、机上の空論とかです。感覚器から離れ、理性のみでわかったつもりになっています。
自分の身体と脳みそを合一させ、感覚知と理性が一致している場合、その表現は力を産む気がします。
僕の場合は、フラメンコ。
自分の身体を離れた表現は、相手に響かないものです。内在するアツイ想いと身体をダイレクトに結びつけ、脳みそでディテールに気を使っているときが素晴らしい踊りになる気がします。
営業とかでも、自分のアツイ思いと身体をダイレクトに結びつけ、脳みそで相手のニーズを察しつつ、やり取りができるようになりたいな。笑

コメント (2)
非常に共感します。
脳で論理的に理解することと、身体感覚のプロセスとして理解することは、全く別の理解のような気がします。
それは、手続き的記憶云々~、とかって脳科学的な話ではなくてもっと主観的な、しかしだからこそ自分にとって確かな理解のような気がします。
たぶん、人は二回理解するんだと思います。
(いや、同じことを何度も理解するのかも。)
しかし、なんでしょう。脳と身体の感覚ってどうやって認知を差異化しているんでしょう。
踊ってる写真が素敵です♪
突然コメント失礼しました!
投稿者: 風澄 | 2007年07月03日 12:33
日時: 2007年07月03日 12:33
風澄さん、コメント、有難う御座います♪
物理的には脳みそのニューロンがどのように結びつくかが違いそうですよね。それを言語によって、表現すると同じ言葉なんだけど、本人としては差異がありそうですよね。
投稿者: グラウンディングラボ 都丸一昭 | 2007年07月04日 01:23
日時: 2007年07月04日 01:23