「触れる相互理解」を繰り返すことによって、観察者と観察対象の関係は適度な弾力性が生まれる。適度な弾力性を持つ関係では、観察者の行為に対する観察される対象の反応が観察者にとって適度である。
2006年10月30日(月)@石響での体験を振り返ってみる。観察対象であるダンサーは観察者である私に対して、手渡しで名刺サイズのキーワードを配った。キョリ、ニクヨク、サミシサなどのキーワードが、観察者の私にダンサーとの関係を主体的に問う機会を与えた。ダンサーは、ペルソナを剥ぐような動作をしたり、妖艶な空気をかもし出したりして、見るものと見られるものという隔たりをまさぐらせた。ダンサーの一挙手一投足に対して、観察者の私はいろんな反応をしてしまう。視覚、聴覚、触覚、知覚を駆使して「触れる相互理解」が出来たような気がする。言葉に依存しないそのやりとりは、抽象度が高いがリアリティのあるメッセージを観察者の記憶から呼び覚ます。主体的に真意を察しようとする観察者と真意を表現しようとするダンサーとの関係性はだんだんと弾力性を増していった気がする。