鷲田清一『死なないでいる理由』小学館2002年によれば、見るもの(観察者)と見られるもの(観察対象)の隔たりが顕著になっているそうだ。TV、web、ケータイ、iPod、オペラ、劇場、ポスターなどが日常生活に入りこみ、不特定多数に情報を伝えることが当たり前となった現代。これらのメディアは、言葉による一方通行の繋がりを産み出している。
理解の度合いを真意(本当に伝えたいこと、人生観)、文脈、言葉に分別すると言葉による一方通行の繋がりでは、文脈での理解に留まる場合が多いと思う。文脈を理解するだけでは、相手の真意を理解することが難しいため、言葉の流通量を増加させることで相手の真意を理解しようとする。電車に乗るとみんなケータイのメールによって言葉の流通量を増加させている光景がよく見られる。
言葉による一方通行の繋がりは、TVキャスターの顔に対して無反応でいる日常生活(鷲田氏)、ケータイで済ませる友達とのやりとりに原因があると思う。TVキャスターの顔に対して無反応でいることが常態化したため、相手の立ち振る舞いから察することが出来なくなったのではないだろうか。ケータイで友達のやりとりを済ませることで、言葉でなんでも理解できる気になってしまったのではないだろうか。顔と顔を向き合わせた五感フル活用の相互理解から逃げ、言葉による一方通行の理解を深めるべく、ケータイのメール打ちに勤しんでいるのではないだろうか?
観察者と観察対象の隔たりが大きくなりすぎた現代。今、求められるのは言葉による一方通行な理解ではなく、「触れるような相互理解」である気がしている。
コメント (2)
携帯だと、文字だけだから内容は伝わっても、
ニュアンスや感情が伝わらないよねぇ。。
なんか言い切りの文体で終わると、冷たい印象を与える気がして、別におもしろくもなんともないのに「ww」とか「♪」とかつけてしまうよ。
でも、一方、携帯があることで、
古い友達と連絡を取りやすいのも事実なんだよね。
投稿者: ちはる | 2007年01月20日 20:43
日時: 2007年01月20日 20:43
うん。古い友達と連絡を取りやすいよね。けーたいが無い前は、縁が切れてしまっていた人とも繋がっていられる可能性が高くなっているよね。
これって、広くて浅い関係だと思う。
投稿者: ぼぉ | 2007年01月20日 23:07
日時: 2007年01月20日 23:07