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経世済民

経世済民って、経済の語源とされている言葉。

経とは、不変の道への縦糸。
世とは、地球環境。
済とは、治めること。
民とは、僕たち。

経済を、「地球環境と僕たちを不変の道に向かって治めること」と個人解釈する。


地球環境とは、生物と地が織り成すシステムであり、人間、ウイルス、ミジンコ、とんぼ、さんま、くじら、海、森、山、大地、空気、花、日、雨、雲とかがいる。


僕たちとは、人間達である。自分、親、兄弟、隣人、地域社会、国、他国、国を持たない人、地球人、全て。過去、現代、未来の全ての世代の人間達である。全体的な視点を持たず、利己的な行動をしやすい。


不変の道とは、原理・原則である。自然が実践中。全体的な視点。熱力学第2法則。現在、壊れた自然ともいえる人が、利己的行動を肥大化させ、自然を壊しちゃっている。


治めるとは、「共存状態を持続すること」、いわゆる持続可能な社会にすることである。持続可能性な社会とは「将来世代のニーズを損ねることなく現在世代のニーズを満足させること」であり、以下のナチュラルステップを手段とする。

1.自然の中で地表から掘り出した物質の濃度が増え続けないこと
2.自然の中で人間社会の作り出した物質の濃度が増え続けないこと
3.自然が物質的な方法で劣化しないこと
4.そして、その社会においては、人々のニーズが世界中で満たされていること


市場経済活動を通じて、「地球環境と僕たちを不変の道に向かって治めること」は少なく、「地球環境と僕たちを破滅の道に向かって治めること」は多い気がする。

市場経済活動では、誠実に働いている人よりも、お金の運用者が評価される。そういう意味で、江戸時代に、富んだ商人ではなく、貧乏な武士が尊敬されていた日本ってすごいなぁ。貧乏な武士が規範になったんだろうな。

サークル活動・学生団体活動・リナックス的活動を通じて、「地球環境と僕たちを不変の道に向かって治めること」は多く、「地球環境と僕たちを破滅の道に向かって治めること」は少ない気がする。

サークル活動・学生団体活動・リナックス的活動では、誠実に働いている人が評価されている。対価はお金ではないことが多いけど。


経世済民のために僕らが出来ることは、サークル活動・リナックス的活動を活性化させることかもしれん。その時、重要なのが、知らしめるのではなく、民を由らしむことができる身近なリーダー達。具体的に言うと地域にいるアツい親父、青年団の人、スポーツ同好会のリーダー達じゃないかな。

そういふ人に僕はなりたい。

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2006年01月19日 18:29に投稿されたエントリーのページです。

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