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親子の信頼@インド

信頼は、役割と承認された決まりとその決まりを体感する回数によって、構築される。

自分と他者がいるとする。
役割として、自分を子供とし、他者を親とする。承認された決まりとして、「子は親に倣うこと」、「親は子に生きる術を与えること」とする。その決まりを体感する回数は、母親から生まれ、母乳を飲んだり、抱かれたり、子守唄を歌ってもらったり、オムツを替えてもらったりすることを通じて、信頼が醸成されていく。


現代の日本。
巷では、親が子にご飯をあげずに放置して、餓死させることがある。子供は、「子は親に倣うこと」を遵守し、自分の非を詫びる。親は、「親は子に生きる術を与えること」を都合の良いように破戒し、自分のエゴを満足させる。信頼によって、悲劇が起きている。逆に、子が親を殺すこともあったよな。


親は子に「生きる術を与える」という決まりを伝えることができていないのかもしれない。この理由として、子供を産んだ親に内在しているはずの生きる術(規範)が、無くなってしまっていること、地域コミュニティの人間関係が薄れたことで、親という役割に対する責任感を自覚できなっていることを挙げる。


インドで出会った家族達。素敵ですわ。親への感謝の念が自然と沸いてくる。信頼は、一方的ではなく、双方向。与える側と得る側ではなく、与える側と与える側の関係性。そんな気がした。

コメント (2)

AA:

昔はどうだったのだろう?
本当に今と違って親が子を殺し,子が親を殺すことなんて無かったのかな
これだけ,インターネットや新聞,テレビが普及しどれだけ離れていてもいとも簡単に情報が分かる
時代じゃない,もしかしたら廻りに伝わらないだけで昔もあったのかもね
ただ,こういった考え方は別として個人的にはやっぱり今はおかしいと思う
地域との関わりどころか,友達や親との付き合い方まで希薄な奴が多いよね
メールじゃ言いたいこと言うくせに ん? 書くくせにか 会ったらはっきり意識表示できない
いらいらする奴が多い あほか はっきり言えっちゅうんじゃ

今は携帯,メールがあるからすぐに連絡がとれる,だから出会いを大切に思わない
昔は会うことも交通や経済の理由からなかなかできなかった
会う,人の熱を感じるってことに対して時間がとる気がなくなった,結果
こんな分けの分からん世の中になったんじゃないの
信頼はお互いの愛情の積み重ね,理屈じゃないよ
理屈じゃないから親子だし 俺はそこに理屈(あーだこーだ小難しいこと)を考えたくないね
無償の愛だよ 愛

かっさん:

>昔はどうだったのだろう?
もちろん、たくさんあったと思うけど、今よりは少ない。人口の推移と感覚でヤヴァイ人が増えている気がする。


>会ったらはっきり意識表示できない
会ったときに話す力と、会ったときに他者から受け取る力の両方、特に後者が貧しくなっている気がする。


>信頼はお互いの愛情の積み重ね,理屈じゃないよ
>理屈じゃないから親子だし 俺はそこに理屈(あーだこーだ小難しいこと)を考えたくないね
>無償の愛だよ 愛
AAみたいな確信を得る手段として、みんなケータイをいじくっているんだと思うよ。その結果得られるのは、不安だけど。笑。

AAみたいな確信を持つことができれば、その時点でこんなウニウニはすぐになくなる。ただ、自分を素直に信じれば良いんだけど、批判的な態度で見る人ばっかりだよね。

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2006年01月09日 03:24に投稿されたエントリーのページです。

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