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2006年01月 アーカイブ

2006年01月08日

@インド

着る物、家、飯、家族、自然。


朝日が昇るのを見つめ、夕日が沈むのを眺める。

あまりしゃべる必要はなく、笑顔を交わせば通じ合える。

幼い頃に、言葉がなくともひたすらに楽しく遊んでいた記憶が蘇ってくる。

ただ、歩く。弟と遊ぶ。

あんな遊びをするために生きているような気さえしてくる。

PS
1/6、インドから帰りました。これからしばらくはインドでの内省をつづります。

コペルニクス的転回@インド

質量が m1,m2 の二つの質点が、速度 v1,v2 で動いており、その元のエネルギーが(m1+m2)の位置エネルギーだったとする。

m1 * v1^2 / 2 +m2 * v2^2 / 2 = (m1+m2) * g * h

この視点を自覚することは難しい。

僕がm1だとしたら、自分がv1で動いていることに気が付けるだろうか?
m2さんと+という関係で結ばれていることに気が付くだろうか?
それらの合計が増えもせず、減りもせず、時間の経過に関係なく一定だということに気が付くことが出来るだろうか?

mが、必要とする資源であり、vが消費運動だとする。僕m1が資源消費量を大きく(富む)すればするほど、何処かの誰かさんm2の必要とする資源の消費量を減らさない(貧する)といけない。なぜなら、その総量の (m1+m2) * g * h は一定だから。地球の資源は、無限ではなく有限だから。


日はまた昇り、沈む。でも、本当は地球が自転している。この視点を僕達は持っているが、自覚には至っていない。


インドの夕日を見ながら、昼間に出会ったチャイを売る子供の笑顔を思い出した。

2006年01月09日

親子の信頼@インド

信頼は、役割と承認された決まりとその決まりを体感する回数によって、構築される。

自分と他者がいるとする。
役割として、自分を子供とし、他者を親とする。承認された決まりとして、「子は親に倣うこと」、「親は子に生きる術を与えること」とする。その決まりを体感する回数は、母親から生まれ、母乳を飲んだり、抱かれたり、子守唄を歌ってもらったり、オムツを替えてもらったりすることを通じて、信頼が醸成されていく。


現代の日本。
巷では、親が子にご飯をあげずに放置して、餓死させることがある。子供は、「子は親に倣うこと」を遵守し、自分の非を詫びる。親は、「親は子に生きる術を与えること」を都合の良いように破戒し、自分のエゴを満足させる。信頼によって、悲劇が起きている。逆に、子が親を殺すこともあったよな。


親は子に「生きる術を与える」という決まりを伝えることができていないのかもしれない。この理由として、子供を産んだ親に内在しているはずの生きる術(規範)が、無くなってしまっていること、地域コミュニティの人間関係が薄れたことで、親という役割に対する責任感を自覚できなっていることを挙げる。


インドで出会った家族達。素敵ですわ。親への感謝の念が自然と沸いてくる。信頼は、一方的ではなく、双方向。与える側と得る側ではなく、与える側と与える側の関係性。そんな気がした。

2006年01月10日

目には見えないもの@インド

目に見えないものと目に見えるもの

心と体

恩とお金

味わいと食べ物

感動と劇

愛と指輪

誓いと結婚届

美しさと美術品

幸せと物

夢と宝くじ

善悪と教典

仏性と寺

いかに生きるか?と学校

大切なものは目に見えないものであることに気が付く。目に見えるものを手に入れることを通じて、目に見えないものが手に入るわけではない。

外に探すのではなく、内の窓を拭く。
素直に今あるものを映してみれば、大切なものが足りていることに気が付くかもしれないなぁ。

インドのカレーを右手ですくいつつ、星の王子様を思い出した。「大切なものは目には見えないんだよ」僕にとっての一輪の花を大切にしたい。

PS
これからしばらくは、最近行ったインドで感じたことを綴ります。

2006年01月11日

悪い人達@インド

"悪い人達がやってきて、みんなを殺した♪理由なんて簡単さ、そこに弱い人達がいたから♪"
ブランキージェットシティ

殺人者、レイパー、アメリカンドリーマーがいる。仏みたいな者、無邪気に遊ぶ子供、甘えん坊がいる。

前者3名が、後者3名をヤる。後者3名は、難を逃れるために、陰に隠れてビクビクしている。

前者3名は、後者3名がいなくなって寂しいと思う。


最終的に寂しくなったので、みんなで共存することになりましたとさ♪ちゃんちゃん♪


僕は、この物語を第3者の視点で眺めながら、ニヤニヤしていることにします。笑


インドで、日本における自分の生活を省みて、考えたことです。はい。

PS
これからしばらくはインドで感じたことを綴ります。

2006年01月12日

愛の反義語@インド

「愛の反義語は、無関心である」

僕の友達から聞いた。友達はマザーテレサから、聞いたそうです。

僕は、「愛の反義語は、執着である」だと思う。

愛って「開くこと」じゃないかな。エゴを捨て、何でもそのまま映し返す。受け入れる。そこら辺に立っている木とか草とか、愛を実践中ですわ。他は目的である。

執着は「閉じること」だと思う。エゴの都合の良いように映し、自分のものにする。排他的。そこら辺にたむろしている僕ら、執着を実践中。他は手段である。

無関心は「閉じていること」かな。エゴの都合により、映すことをやめている。自分だけの世界。そこら辺でよく聞くNEETの方、引きこもりの方、ハードワーカーとか、無関心を実践中。他は無い。

全ての行為を開くのか、閉じるかで評価すると面白いかも。


インドで出会った日本のおっさん。彼は、開いているわ~♪「テキトー」という印象が本当に良く似合う方でした。あの坂本(永遠のSFCスペイン舞踊部OB)を超えていたかもしれん。うん。

PS
これからしばらくはインドで感じたことを綴ります。

3日立てば、別人@インド

人の情報処理には、長期記憶なるものがあり、スキームという枠があるらしい。この枠は、各々にとって必要な情報を短時間で処理するために、受け取る情報を取捨選択してくれるらしい。

人が継続的に情報を処理する場合、このスキームという枠に捉われ、会社を潰す社長や、恋人を失う男や、親友を無くす者がいる。スキームって言うのは、第一印象とか、先入観っていうやつかな。

物質としての人は、3ヶ月ぐらいで全く別の物質で再構築される。でも、僕らの中の「その人」に対するスキームは、変化しない場合が多い。

今、「その人」を曇りなき眼(もののけ姫のアシタカの台詞)で映そう。絶対、別人がそこにいる。

一期一会。

PS
しばらくは、インドの日記です。

2006年01月13日

戦略的意思決定論

組織の意思決定は以下に分けられる。

組織政策 > 戦略的意思決定 > 管理的意思決定 > 実施の意思決定
 ↓
戦略をいつやめるかを決定


組織の意思決定とは、効果・結果が個人ではなく組織に帰属する意思決定であり、「組織内の個人の意思決定」、「グループの意思決定(協調)」、「グループ感の意思決定・合意形成(利害)+組織という環境」に分けられる。個人の意思決定 + 集団力学 + 組織論の知識が必要。

ex)スターバックス
9.11の現場で消防士の足元を見て100ドルで水のペットボトルを売りつけた店員がいた。一方で組織としてはコーヒーの無料配布をしていた。

組織とは意思決定の仕組みである。

組織文化とは、観察可能な人間の創造物であり、学習により信奉された価値・規範・規則であり、共有され次々と学習される無意識の基本前提である。観察可能な人間の創造物とは、観察可能な組織構造とプロセス。信奉された価値・規範・規則とは、戦略、組織目標、哲学。無意識の基本前提とは、組織構成員の注意・認識・思考・感情を規定する無意識で疑わない信条・仮定。

ex)SFC
「観察可能な人間の創造物」:ギリシャ文字の建物。コンクリートむき出しで、まばら。

「学習により信奉された価値・規範・規則」:フラット。今までのヒエラルキー的な文化のアンチテーゼ。先輩を足蹴にする後輩。

「共有され次々と学習される無意識の基本前提」:無意識で使っている。他国に行ったときに気が付く。

組織のトップは、組織とは意思決定の仕組みである組織構造・プロセスをデザインし、意思決定の前提である組織文化をデザインする。

ex)アメリカのweb上だけに存在している会社
オフィスを持たない。採用方式は、web上でプログラミングの質問で能力を測り、合格すると国際電話でプログラミングの質問で能力を測る。合格すると、プロジェクトが与えられ、それの成果に応じて報酬が振り込まれる。トップの役割とは、最終的な意思決定権限を持つ、組織文化を作る事。


組織変革とは
1:組織文化 = 組織の意思決定前提 = 組織の真理モデル
ex)松下とsonyとQBハウス
人本主義と開発主義とコスト・コスト・コスト

2:変革期 = 組織の真理モデルが時代遅れ
ex)バブル崩壊後の倒産企業


3:組織の真理モデルを変革する→莫大なエネルギーが必要
ex)従業員の企業に対する意味づけ
生活費を得るための手段であり、自分の任期中に会社が存続すれば良い。そのため、トップだけしか変革をデザインできない。
また、組織内政治が存在する場合、それらの政治に沿った変革でないと現実性が無い。政治といったのは、ずるい人達がいる。変革を若手にやらせ、成功すれば登場し、失敗すれば知らん顔をする。


診断論的意思決定のエッセンス
演繹合理主義的な意思決定プロセスを踏み、そこに潜む罠を回避していく。
メタ判断:問題の重要性、問題の定義、予想されるプロセス・結果・コスト・期待
意思決定プロセス:個人の判断プロセス、アイディア生成プロセス、グループプロセス、コミュニケーション、合意形成。
結果と評価:質、スピード、満足度、受容度
その3点の基礎に判断バイアスがあり、長期的学習によって形成される。

無知の知
1:自分が無知であることを知らない。
2:自分が無知であることを知っているが、何を知らないか分からない。
3:自分が何を知らないかを知っているが、どうしてよいか分からない。
4:自分が何を知らないか知っており、何をすべきかを知っている。
5:自分が何をしらないか、何をすべきかを知っており、実行している。

性格的決定論・経験万能主義から脱却すること
意思決定能力も交渉力も、性格ではなく能力⇒開発可能であると確信する。

意思決定の科学を理解し、よい習慣をつける(無意識のプロセスのコントロール)⇒記録をつける。
ex)桑田投手
中学校からの対戦相手との記録をつけている。

これにより、パターンを覚えていく。5000パターンを覚えることにより、その分野の専門家になる。

2006年01月14日

南インドな一日@インド

5:00頃、目が覚める。ベランダに出てみる。TシャツでOKな気候。ちょっとひんやりする。

朝日が昇り始める。朝の光を見ると楽天的な気持ちになる。光が、ココナッツの森の霧を裂く。赤オレンジがバックヲーターの水面を染める。

朝一のココナッツジュース♪12ルピー。美味しさ、プライスレス。売店のおばさんのナタ捌きが凄い。

昼は暑いので寝る。昔の自分の夢を見る。

夕暮れ。海に映るオレンジの波を見ながら、剃髪した頭皮で風を感じる。波の浮き沈みに一喜一憂するのではなく、海の美しさをただ見つめる。

さて、カレーでも食うかなぁ~♪「う、美味い♪」 

Zzz

PS
これを最初に書けばよかったかな♪笑。上記の生活を11日ぐらい送りました。うん。

2006年01月15日

時間@インド

過去が今日を産み、今日が明日を産む。

六助とふじが父を産み、利夫と八重が母を産んだ。父と母が僕を産み、僕と誰かが未来を産む。

このような「100年単位」のルーツを組む僕が、今、成すべきことは何だろう?

価値感がグラグラゆれている。ビジネス領域で機会人間のように生きようとしていた僕。自然とか、家庭とか、子供とか、笑顔とかの大事さを思い出した。これらのキーワードを大事にする。

100年のはかりごとは、人を育てることにあり。

2006年01月16日

約束とアラーム@インド

人との約束数

@日本
 1日当たり1~2アポ
 1ヶ月当たり58アポぐらい

@インド
 1日当たり0~1アポ 
 1ヶ月当たり6アポ


アラーム(携帯とか、電車とか、エレベーターとか、冷蔵庫とか)を聞く回数

@日本
 1日当たり44(携帯のEメール数で算出)~200(駅でカウント)アラーム

@インド
 1日当たり0~2アラーム

Radioheadの「no surprises」を思い出した。


インドでは、外界からのアプローチが少ない分、自分自身と向き合えた。幼少期の記憶の断片を拾い集めて、今の自分にどんな影響を与えたかを思い出した。

2006年01月17日

役割の共有@インド

組織で、効率的にゴールへ向かうためには、構成員の役割を共有にする必要がある。

リーダー?マネージャー?サポーター?プレイヤー?コーチ?アドバイザー?ゲスト?パートナー?

これらの役割を共有するためには、象徴的なツールが必要である。

葬式であれば、坊主という役割を共有するために、お経、木魚、「ティーン♪」ってなるやつ、剃髪した頭というツールを用い、効率的に葬式をこなしている。

ツールは、目に見えるものであり、使用することを通じて、役割が共有できるようになっている。


バックパッカーは、バックパーカーらしく、乞食は、乞食らしく、坊さんは坊さんらしく。インドでもたくさんの役割を見つけた。

僕の大学4年生としての役割と向き合います。

PS
インドで感じたことの日記は今日でおしまいです。次からは、日々感じたことを綴ります。

2006年01月18日

ひとつに絞る覚悟

今という視点で、やるべきことを考えてみる。

今って何だろう?
研究発表とテストと最終レポートの提出日を間近に控えている。いろんな活動領域の友達と縁を深めることが出来る期間である。現在の4年生とは、あと2ヶ月ちょいで縁が遠くなる。社会的責任を「学生だから」で回避しやすい期間である。自分の根本を揺さぶるような学問ができる期間である。大学生活の後半であり、あと15ヶ月で卒業する。親孝行しても良い期間である。尚友のターニングポイント期間である。26歳になる年であり、人生の中でも体に無理が利く期間である。

こう考えると今に意義があることに気付く。今だからできることがある。

友達を大事にし、身近な人に素直になり、やりたいこと且つ出来ることをひとつに絞ってみよう。やりたくないことをなるべく小さくし、出来ないことは他者に助けてもらおう。出来ないことの識別に厳しくあろう!

ちなみに今年の初心は「出来ることをやりきる!」なんだ。

2006年01月19日

経世済民

経世済民って、経済の語源とされている言葉。

経とは、不変の道への縦糸。
世とは、地球環境。
済とは、治めること。
民とは、僕たち。

経済を、「地球環境と僕たちを不変の道に向かって治めること」と個人解釈する。


地球環境とは、生物と地が織り成すシステムであり、人間、ウイルス、ミジンコ、とんぼ、さんま、くじら、海、森、山、大地、空気、花、日、雨、雲とかがいる。


僕たちとは、人間達である。自分、親、兄弟、隣人、地域社会、国、他国、国を持たない人、地球人、全て。過去、現代、未来の全ての世代の人間達である。全体的な視点を持たず、利己的な行動をしやすい。


不変の道とは、原理・原則である。自然が実践中。全体的な視点。熱力学第2法則。現在、壊れた自然ともいえる人が、利己的行動を肥大化させ、自然を壊しちゃっている。


治めるとは、「共存状態を持続すること」、いわゆる持続可能な社会にすることである。持続可能性な社会とは「将来世代のニーズを損ねることなく現在世代のニーズを満足させること」であり、以下のナチュラルステップを手段とする。

1.自然の中で地表から掘り出した物質の濃度が増え続けないこと
2.自然の中で人間社会の作り出した物質の濃度が増え続けないこと
3.自然が物質的な方法で劣化しないこと
4.そして、その社会においては、人々のニーズが世界中で満たされていること


市場経済活動を通じて、「地球環境と僕たちを不変の道に向かって治めること」は少なく、「地球環境と僕たちを破滅の道に向かって治めること」は多い気がする。

市場経済活動では、誠実に働いている人よりも、お金の運用者が評価される。そういう意味で、江戸時代に、富んだ商人ではなく、貧乏な武士が尊敬されていた日本ってすごいなぁ。貧乏な武士が規範になったんだろうな。

サークル活動・学生団体活動・リナックス的活動を通じて、「地球環境と僕たちを不変の道に向かって治めること」は多く、「地球環境と僕たちを破滅の道に向かって治めること」は少ない気がする。

サークル活動・学生団体活動・リナックス的活動では、誠実に働いている人が評価されている。対価はお金ではないことが多いけど。


経世済民のために僕らが出来ることは、サークル活動・リナックス的活動を活性化させることかもしれん。その時、重要なのが、知らしめるのではなく、民を由らしむことができる身近なリーダー達。具体的に言うと地域にいるアツい親父、青年団の人、スポーツ同好会のリーダー達じゃないかな。

そういふ人に僕はなりたい。

2006年01月20日

自覚

自覚することは難しい。僕が自覚をしている点は以下。
・日本人にしては、背が高い
・凡人

自覚は、無意識レベルの前提として受け入れているコトを意識レベルで認知すること。(個人解釈)

自分のことだから、他者に突っ込まれたり、死にそうになったり、自身の深い内省があったりしないといたることが出来ない。

今、やろうとしていることを自覚という視点で評価してみる。

他者のためにという台詞は、本音ではなく、自身のためであることに気付く。結局、高校3年生と社会人1年目の自分を救うためにやりたいんだということに気付く。

今、やっていることを通じて、自分が個ではなく、公であるような自覚に至りたい。

2006年01月22日

素直

素直:飾り気無く、ありのままであること。(広辞苑)

僕は、飾っちゃうンですよ。

同じ人間に対して、高慢だったり、卑屈だったりする。
ありのままであることは、完璧であることなのに、弱いとか駄目だとか、恥ずかしいとか思っちゃいます。

小学校2年の僕を思い出した。あの頃は、ありのままだった。すげー楽しかった。ありのままの自分をイメージする。

ちなみに「真面目」って、「ありのまま、本来の姿」という意味があるらしい。真面目に生きようっと。

ヒッピー、ハッピー、うれぴー@インド

松尾芭蕉曰く、

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。

予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂白のおもひやまず、海浜にさすらへ...」

いました。インドにいました。

現代用語で言うとヒッピーだす。彼女は、2年間インドを放浪しています。日本では、山小屋で稼ぎ、そのカネでインドを旅する。幸せそうでした。

人の往来が同じぐらいのある地点で立ちます。インドでは、笑顔の人は多く、モノは少ない。日本では、笑顔の人は少なく、モノは多い。隠れた独立変数はあると思うが、モノと笑顔には反比例の関係があるようだ。

何も持たない彼女の笑顔の秘訣を知りたい。

2006年01月25日

浅い自由

よく大学の授業でマズローの欲求段階説が出てきます。

生理的欲求,安全の欲求,親和の欲求,自我の欲求,自己実現の欲求。

「人間は、最終的に最上位の自己実現の欲求を求める」って、よく聞かされます。

同世代の仲間とか、経営者の方に、「自己実現ってなに?」て問うと「経済的に心配が無くて、やりたいことを出来ている状態」っていう答えが来ます。「やりたいことって何?」って問うと、「趣味♪」って感じです。つまるところ、「所謂、自由ってやつだよ!」ときます。

う~ん。なんか、釈然としないなぁ。


んで、ある本にこんなことが書いてありました。
「自由とは、自己の行為が自己の人格にその原因を有し、何等他に律せらるることなき状態」

全責任を自分が負っており、周りの環境から影響を受けない状態が自由と言っております。

なんか、いろいろあったけど、全ては自分自身に責任があるんだってことは、最近うすうす感じます。これを実感とすべく、日々実践と内省を繰り返します♪

2006年01月26日

虹の戦士

虹の戦士という本を読んだ。これは、あるインディアンの口伝を本にしたもの。以下の目次で、今の自分を評価してみる。

大きな疑問
「お金って何のためにあるんだろう?オレって何だろう?」

内側を見つめる
「笑顔と家族と自然があるって幸せかも。ありのままって良いな。アメリカンドリームは際限無いや。」

自然に触る
「インドで、長野を思い出した」

恐怖に打ち勝つ
「森の闇を体験はしたことがある。けど怖いものは怖い」

技をものにする
「ITスキルとしての設計力はついたが、実装力はつけることがまだできていない。」

死を敬う
「よくわからない。死ぬのはあるんだなぁってことは、インドで見た。」

痛みを知る
「知ってはいるが、自覚に至らず」

ヴィジョンを求める
「求めているが、実践を怠っている。」


体感による自覚が大事。この大学4年という時間は、いろんな領域を広く浅く見聞しつつ、ひとつを掘り下げていこう。

2006年01月27日

一人称

一人称を挙げてみる。

僕、拙者、麿、余、我輩、我、吾、私、俺、自分、己、当方、わし、あたし、わて、おいら、おら、某、朕、小生、わらわ...

たくさんある。

自分とは誰か?という問いの答えの変遷なのだろうな。社会的立場を端的に表している。

吾を漢和辞典で調べてみた。

吾 = 五 + 口

五:交わっている様子
口:口
という意味がある。これは、言葉を発することによって、「我」が生まれることを背景にしているのかなぁ。日本人が空気を読んで他者の意図を伺えるのは、静かにしていることを良しとした規範が合ったのかなぁ。

日の出の美しさ、思わず見上げた青い空、海の広さ、花の可憐さ。これらを感じているとき、言葉は要らず、自という意識も確かに無い気がする。

1日3分ぐらいは、静かにする。
「私が...」、「僕が....」というストーリーから離れてみる。

すっきり♪

2006年01月28日

祈るまでやる

「祈るまでやったか?」

稲盛和夫さんが、社員さんに掛けた言葉です。


僕の祈るまでやったこと
・中学校時代の告白♪
・高校受験
・高校のバレーボールでの最後の大会
・大学受験
・AIESEC VOGX Directorにて、研修生のマッチングと次世代への選挙。

僕の人生の節目がそこにある。「祈るまでやる」ということは、出来ることを全てやり尽くすということ。祈るまで出来ていない状態は、環境のせいにしている要素があるからだと思う。

出来ることをやりきるという当たり前の言葉は、素直な識別力と継続的な実践を意味する。

2006年01月29日

足し算と引き算

鈴木章子さんの詩を読み、感じたこと。

「変換」

死に向かって
進んでいるのではない
今をもらって生きているのだ

"いのち、日々あらたなり"

彼女は、癌に倒れ、その闘病生活を通じて感じたことを詩にしている。

人間はいつか死ぬ。これは、僕も知っている。僕は、「どうせ死ぬのだから、今、頑張ろう!」という心持だったが、「明日、死ぬかも知れぬのだから、今を感謝しよう」という心持を知った。引き算が足し算になった。前者は、いつか死ぬことに対して、一日を引き算していく。後者は、明日死ぬかもしれないから、一日生きたことを足し算していく。

自覚には至っていないが、この価値を知ることが出来てよかった。たまに病気とかをして、同じような心持になることはあるよね。

2006年01月30日

最近やったこと

最近は、観念的なことばかりを綴っていたので、1/8~現在の間の活動報告をします。

旧友に手紙を書いた

プログラミング入門のSA終了

ミスチルを熱唱

プレゼンのロジカルさ+セクシーさの追求@コミュニティインベスト論

八百藤(SFCの植えて、育てて、喰うサークル)メンバーと農的価値観で意気投合♪

アイセックSFC LCP選挙に参加

ベンチャーの社長達とカラオケ。ロコモーション、メッチャホリディを踊りつきで歌った。

インターン仲介団体と企画打ち合わせ。コラボレーションの可能性有り!

旧友と神楽坂で焼き鳥。地道に行動している彼に感動

SFCの授業で知り合った方と社会人としての苦悩を共有

北海道のある町への団塊の世代移住プランをブレスト

後輩にインド土産を進呈

ある会社のHPのサイトデザイン

仏みたいな社長さんに今後を相談

カフェでぼーっとする

親友と酒を飲む

テスト

ガクショク仲間と意気投合。来年一年間のコミットを確認

同期のSEに、企画の相談。彼の静かで優しい物腰に感動。

先輩と良い縁を結びそうな人を引き合わせた

親友との長電話。感謝

村井研究会最終発表終了!

他者に助けられてここまで大きくなりました。みんな、有難う。

2006年01月31日

現在は行動

秘められたるインドからの引用。

イギリス人、曰く
「世界の将来についてご意見をお聞かせくださいませんか。」

師、曰く
「何故、あなたが将来のことを心配しなければならないのですか?あなたは、おそらく現在のことも知らないのでしょう。現在によく気をお付けなさい。そうすれば、将来は、将来の自分が気をつけるでしょう。」


何故、やるのか。何をするのか。誰にするのか。どのようにするのか。これらは、全て将来のことであり、行動しているか否かが現在である。

僕の場合、 昔の自分自身を元気にするために、自己投資に無関心な若者と身近なヒーローとの縁側を提供したい。現在、そのためのwebアプリを設計中。いろんな方から、助言を頂き、良いものを作る。キャリア形成への一助となれば、嬉しいなぁ。

設計、仕様書、サイトデザイン、現在のこと♪
とうとうサーバーをレンタルし、ドメインを確保してしまった。なんか、楽しい。

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